#49 知的障害者の大学教育を拓く
知的障害があっても
学びたい意欲は同じ。
大学でゆっくり学べる
インクルーシブな教育環境を。

スポーツ科学部 スポーツ科学科
水野和代 講師
水野和代先生の研究分野は、特別支援教育およびインクルーシブ教育。近年はインクルーシブな大学教育に関心を寄せ、知的障害者の大学教育の保障、生涯学習に関する研究を進めています。文部科学省「共に学び、生きる共生社会コンファレンス」にも関わりながら、障害者の学びの場の充実を目指しています。水野先生に、知的障害者の大学教育について話を聞きました。
社会課題
知的障害者にとって険しい、大学で学ぶ道。
知的障害者の高等教育機関進学率は、障害のない生徒の進学率と比べて非常に低いのが現状です。2021年度、特別支援学校高等部卒業後の進路を見ると、大学?短大、高等部専攻科などへの進学率はわずか0.4%にとどまっています。その背景には、知的障害者の多くは高校を卒業すると、就職や社会福祉施設等への入所?通所が一般的になっていて、そもそも進学の受け入れ先が少ないことがあります。
日本では、2014年の「障害者権利条約」の批准や2016年の「障害者差別解消法」の施行といった社会的な動向を踏まえ、近年、文部科学省を中心として、障害者の生涯学習の充実に向けた動きが活発化しています。2019年3月に学校卒業後における障害者の学びの推進に関する有識者会議により公表された「障害者の生涯学習の推進方策について-誰もが、障害の有無にかかわらず共に学び、生きる共生社会を目指して-(報告)」では、学校卒業後の障害者の学ぶ場が十分ではないことが指摘され、「誰もが、障害の有無にかかわらず共に学び、生きる共生社会の実現」、「障害者の主体的な学びの重視、個性や得意分野を活かした社会参加の実現」という方向性が打ち出されています。2024年の文部科学省「学校卒業後における障害者の学びの支援推進事業」には、1.36億円の予算がついており、大学などにおける生涯学習機会の創出?運営体制のモデル構築にかかわる実践研究が進められるなど、少しずつではありますが、着実に前進しています。
INTERVIEW
なぜ日本では、知的障害者の大学進学の選択肢がないのか。
最初に、先生の専門分野であるインクルーシブ教育とは何か、簡単に教えていただけますか。
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水野
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インクルーシブ教育とは、子どもの差異を認め、多様な「特別な教育的ニーズ」のある子どもたちを学校教育に包摂することを意味しています。「特別な教育的ニーズのある子ども」とは、障害、言語?文化的な背景や貧困などの理由から、学習における困難さがある子どものことを指しています。誰も排除することなく、教育や社会のなかに包摂していくものであり、インクルーシブ教育の先には、インクルーシブな社会の創造があります。障害のある子どもについても、幼少期から地域で障害のない子どもと一緒に学べるようなインクルーシブ教育の環境を整えていく、すべての子どもに対して必要な時に必要な支援を提供していくことが大切だと考えています。現状ですと、知的障害者の特別支援学校は居住地の近くにない場合があり、地域のなかでつながりがないまま成長していく側面があります。幼少期から中学校、高校、大学まで、地域で学び、卒業後は地域社会で生活できるように支援していくことが大切ですし、その先にインクルーシブな社会の実現があると考えています。
インクルーシブ教育のなかでも、とくに知的障害者の大学教育保障に関心をもったのはどうしてですか。
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水野
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大学院の頃から、インクルーシブ教育の研究を深めていくなかで、インクルーシブな高等教育に関する研究の必要性を感じたことに加え、「なぜ日本では知的障害者が大学に進学してもっと学びたいと願っても、大学進学の選択肢がほとんどないのか、それは青年の可能性を奪うものではないのか」という問題意識をもったからです。社会課題のコラムにも記載されている通り、知的障害者の大学?短大?高等部専攻科などへの進学率はわずか0.4%で、大学における知的障害者の受け入れや生涯学習の機会確保という考えからは乖離しています。障害のない生徒は大学進学などで自分の進路についてゆっくりと考える時間があるのに、なぜ、障害のある子どもだけ、早期自立?早期就労をしなければならないのか。特別支援学校の高等部では、学年が進むごとに職業教育が強調されて、否応なしに卒業したら自立しないといけないというレールが敷かれています。そんな社会構造を見直し、一般通念を変えていくことが必要です。米国ではすでに知的障害者の大学教育を保障していますので、その先駆的な実践から日本への有益な示唆を得ようと研究を進めています。

米国に学ぶインクルーシブな大学教育。
米国での先駆的な取り組みについて、もう少し詳しく教えてください。
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水野
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米国では、2008年「高等教育機会法」の施行を契機として、マサチューセッツ大学に設置された全米組織であるThink Collegeによる「知的障害者のための移行と中等教育後プログラム(TPSID)」の制度が創設されました。そのプログラムを通じて、知的障害者が大学にアクセスしやすくなり、大学における知的障害者の受け入れが進んでいます。2022年度には、39のプログラムが全米の大学?短期大学で用意され、530名の知的障害者が学んでいます。プログラムの内容はそれぞれの大学によって違うのですが、非学位のものが多いですね。もちろん単位の出る授業もあるのですが、多くは「聴講」という形で、知的障害者が障害のない学生と共に学んで、修了時に大学独自のプログラム修了証が授与されます。また、資格の取れるプログラムが用意されていることも、特筆すべきことですね。
知的障害者のための特別なプログラムを用意することによって、障害の有無に関わらず一緒に学べる環境をつくったわけですね。
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水野
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そうです。知的障害があっても大学生としての身分が保障されるので、大学のキャンパスコミュニティのなかに、学生として参加できるところがとても特徴的なんですね。いわゆる大学のサークルなどのアクティビティにももちろん参加できますし、学生寮に入ることもできます。そのほか、ピアメンター制度といって、メンターの学生が学業や生活全般の相談にのるサポート体制も用意されています。

圧倒的に少ない、日本での知的障害者の学びの場。
米国に比べ、日本での現状はどのようになっているのでしょうか。
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水野
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2017年の調査結果によると、大学のオープンカレッジ、公開講座などの「障害者の方を対象とした講座」はわずか3.2%(大学)、0.9%(短期大学)に留まっているのが現状です。そうした課題を受けて、大学でも少しずつ取り組みが展開されていて、障害者を対象としたオープンカレッジや公開講座などが開催され、実践研究が行われているところです。また、学校教育における教育年限延長である特別支援学校高等部専攻科の設置数が限られていることもあり、福祉分野において、社会福祉法人などが、障害者総合支援法による自立訓練(生活訓練)事業や就労移行支援事業を活用した「福祉(事業)型専攻科」を設置し、学校から社会への移行期の学びを支える取り組みも見られます。

今後日本で、知的障害者の大学教育?生涯学習を拡充していくためにはどんなことが必要でしょうか。
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水野
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日本においても、知的障害者の大学教育の保障に向けた検討が必要です。また、文部科学省では、2019年度から、障害者の生涯学習活動の関係者が集う「共に学び、生きる共生社会コンファレンス」を全国ブロック別に開催しています。障害者本人による学びの成果発表、学びの場づくりに関する優れた事例の共有などが行われていますので、こういった全国規模での普及?啓発の場を継続して実施していくことも必要だと思います。地道な取り組みを通して、障害の有無にかかわらず、共に学び続けることが当たり前の社会になり、漸進的にインクルーシブな社会が形成されていくように、私も実践研究を続けていきたいですね。
知的障害者の学ぶ意欲がもたらす波及効果。
実践研究の一例について教えていただけますか。
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水野
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私が客員共同研究員をしているNPO法人見晴台学園大学は、知的?発達障害者の大学教育を受ける権利を保障するために2013年に開学し、学びたいと願うすべての人に開かれた大学教育を創造しています。このような全日制の取り組みは先駆的で、全国への広がりが期待されます。見晴台学園大学では、通常の大学と同じように、専門演習もあり、卒業論文も執筆します。学生たちは本当に意欲的で、保護者の方も子どもの発達に応じてゆっくり学ばせたいという思いがあります。私のゼミでは、ゼミ交流をさせていただいていますが、学びたいという学生たちの真摯な姿勢から多くの刺激を得ています。
障害があっても、学びたいという意欲は変わらないのですね。
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水野
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はい。知的障害のある学生の学びに対する熱意や前向きな態度は、米国の研究でも明らかにされています。知的障害のある学生は、受講態度が熱心で、前に出て教員に質問し、その熱意や前向きな態度の生み出すエネルギーが障害のない学生たちに伝染していくんです。障害のある学生とない学生が共に学ぶことによって、障害のない学生も大きな恩恵を受けることができ、プラスの波及効果がすごくあると思います。また、米国では、知的障害のある学生が、自分の興味?関心に応じて、受講科目を自己決定することが大切にされています。

大学のほか、地域で推進されている障害者の生涯学習の取り組みで、注目すべき事例はありますか。
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水野
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2021年、文部科学省の「学校卒業後における障害者の学びの支援に関する実践研究」事業を、春日井市とNPO法人春日井子どもサポートKIDSCOLORさんが受託し、障害者の生涯学習を支える実践をしています。2022年に成果報告のため開催された「地域における障害者の生涯学習推進コンファレンス in 東海?北陸」において、私は司会を担当させていただきました。書家の金澤翔子さんの席上揮毫、翔子さんのお母様であり書家の金澤泰子さんの講演もあり、参加者の熱気から、障害者の生涯学習への関心が高まっていると感じました。春日井市とKIDSCOLORさんは、文部科学省の委託事業(3年間)を終え、2024年度から自主事業をスタート。私も春日井市障がい者の生涯学習支援連携協議会委員を務めています。春日井市の障害児者サークル「わくわくサークルエンジョイ+」の工作教室にゼミ生と参加したのですが、私たちも支援するという意識ではなく、自然体で話しながら工作に取り組むことで、参加者の皆さんも笑顔でたくさん話してくれました。このように障害の有無に関わらず「共に学ぶ」ことができる地域の自主事業が全国に広がっていってほしいと思います。
見晴台学園大学のチャレンジ
見晴台学園大学は2013年に開校。知的障害や発達障害をもち、特別な支援を必要とする青年たちが「自分と自然との共生」「自分と社会との共生」「自分と他者との共生」をめざす新しい学びの場です。

「もっとゆっくり学びたい」という高校生の声から生まれた大学。
見晴台学園大学の母体は、1990年に設立された見晴台学園。中等部3年(中学)、高等部本科3年?専攻科2年(高校)を備えた、無認可の学園です。ここに通う高校生から、「仕事で困らないようにもっと学びたい」「兄弟のように自分も大学に通ってみたい」という声が上がり、それに応えて開設されたのが、4年制の見晴台学園大学です。現在は、学園の高等部の卒業生をはじめ、一般の高校や特別支援学校高等部からの入学も含め、20人弱の学生が学んでいます。

見晴台学園大学では、「現代を生きる青年にふさわしい教養」「幅広い視野を持ち意見を表明する力」「人とつながり仲間をつくる力」という3つの教育目標を掲げ、「学ぶこと」「働くこと」「生きること」の三位一体のキャリア教育を実践。学生たちが自らの能力を開花させ、社会に出て自分らしく豊かな人生を構築していけるように支援しています。その優れた教育実践が教育界で高く評価され、2023年、第32回ペスタロッチー教育賞(※)を受賞しています。
学びの水準を下げることなく、学びの本質を伝えていく。
同大学はフリースクールですが、大学教育に準じたカリキュラムを編成。90分授業×15コ(1週間)を基本に、多様な分野から講師を招き、現代教養学ともいうべき講義を展開しています。たとえば、グローバル論、生活の中の外国語、空の物流、環境問題など、さまざまな領域で知識を得ることによって、学生たちは狭くなりがちな自分の世界に風穴を開け、多方面に向けてイキイキと興味関心の翼を広げています。講義をする上で講師陣が大切していることは、知的?発達障害青年を相手にするからといって、決して学びの水準を下げないこと。水で薄めた知識を表面的に教えるのではなく、知の本質をどのように伝えるかを工夫し、わかりやすく解説し、卒業前には全員が卒業論文を書き上げるようサポートしています。

こうして4年間学んだ卒業生の多くは、社会福祉施設に入所?通所し、一部、一般企業にも就職しています。就職にあたっては、本人が見学して決めるなど個々の意向を大切にきめ細かくサポート。大学でゆっくり学び、仲間とのコミュニケーション力も養って社会へ出ていくため、どの卒業生も高い定着率を維持しています。知的?発達障害のある人は、早く自立することが当たり前という風潮があります。しかし、人は学びを得ることで生きる力を養い、人間として成長していきます。同大学では<見晴台学園大学の教育モデル>を社会へ発信し、全国どこでも障害をもつ若者がインクルーシブな大学教育を受けられるような環境づくりをめざしています。
※ペスタロッチー教育賞は、広島大学教育学部が創設した賞。優れた教育を実践している個人や団体を表彰するものです。
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