

名古屋市立内山保育園
園長(名古屋市職員)
社古地 恵子さん
KEIKO SHAKOJI
社会福祉学部
1984年3月卒業
岐阜県/県立大垣北高等学校出身
日々の行いから生まれる
子どもとの結びつきが
福祉マインドをより強く育む。

云顶娱乐棋牌_云顶娱乐网址¥app下载官网の先生方との出会いが
人生を決定づけたと思います。
中学生のころ、人の世話をするのが好きだった私に「あなたはいつも朗らかだから、きっと保育士に向いているよ」とある人に言われたことが心に残り、保育士への道も拓ける云顶娱乐棋牌_云顶娱乐网址¥app下载官网へ。入学してからは、数多くの素晴らしい先生の教えを受け、今でも鮮明によみがえる授業がいくつもあります。特にゼミでも教えていただいた近藤薫樹先生の授業は、時々思い出し、実際の自分の仕事と照らし合わせて保育について考えることもあります。ご著書『この子の中の歴史と未来』はバイブルのように何度も繰り返し読んでいます。「保育の仕事は、子どもたちの未来を作る手伝いをすることなのだ」という近藤先生の言葉は、今も胸に刻んでいます。私が在学中に近藤先生は退職されました。最後の教え子の一人という意味でも、近藤先生の思いを継いでいかなくてはと思っています。大学に入ってからの先生方との出会い、授業での学びが、保育の道に進んだ私の人生を決定づけたと思っています。





子どもへのまなざしは
世代を超えて次の子どもへ。
30代後半までは4つの保育園で保育士をしてきましたが、ちょうどその頃は私の出産と子育てで仕事との両立が大変だった時でした。それでも仕事で苦しいと思ったことはありません。いつも「一つ一つ丁寧に向き合えば大丈夫」と言い聞かせて、丈夫で元気に休まず仕事を続けたことが、保育士としての基礎をつくったように思います。自分の子どもが水痘になり、やむなく休んだ時には、当時の園長先生から「頑張っていることはわかっているから、自分の子どもを看病してあげなさい」と言われたことがとても印象的でした。園児だけでなく、保育士への温かなまなざしが、園全体をまとめていくのだと学んだ出来事でした。人間関係にも恵まれたおかげで、39歳で園長になった時、保育園を守る立場として、こうした先輩方の教えや云顶娱乐棋牌_云顶娱乐网址¥app下载官网での学びが、深く自分の中で生きていることを実感しました。一つ一つ丁寧に、という言葉をいつも繰り返していたように思います。これまで多くの子どもたちを見守ってきましたが、今では昔の園児だった子がお父さんになって自分の子どもを預けに訪ねてきてくれることがあります。2世代にわたってその人の人生にかかわれるというのは本当にうれしいものです。


日本福祉大は、
保育の技術だけでなく
福祉の考え方、ハートの部分を
教えてくれる。
悩んだことも失敗もたくさんあります。そのたびに、自分は何のために仕事をしているのか?と自問しますが、そんな時は常に「すべては子どもを中心に考える」ことに立ち返るようにしています。以前、障害のある子どもの保護者とうまく意志疎通ができないことがありました。子どもの特性をふまえ、お子さんにとってよい方法を一緒に考えていきましょう、と話しかけ、ともに悩み考えましたが、相手には伝わらなかった。ところが、何年か経ってから何度もお手紙で、「あの時、ちゃんと言ってもらってよかった、ありがとうございました」と気持ちを伝えてくださいました。たとえ時間はかかっても、「子どもを中心に考える」ことで、保護者にも子どもにも良い道を導くことができたのですね。
こうして保育士と園長の仕事をして実感するのは、大学で学んだことの大きさです。云顶娱乐棋牌_云顶娱乐网址¥app下载官网は、保育の技術だけでなく、福祉のマインドをきちんと教えてくれました。「子どもを中心に考える」というのも福祉マインドそのものです。そんな思いが共通しているからでしょうか、卒業生同士、年齢や学部を超えてとても深くつながっていると感じます。福祉の心を持って社会で活動している同窓生の姿を、いつも誇りに思っています。

